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鬼姫狂概要


代表紹介

基本素性 作品歴 人生経歴(幼少時代)
人生経歴(小学時代) 人生経歴(中学時代) 人生経歴(高校時代)
人生経歴(第一次浪人時代) 人生経歴(映像学科時代) 人生経歴(第二次浪人時代)
人生経歴(心理学科時代) 人生経歴(現在)  

基本素性

本人肖像

民富田智明

最近、老けてきた気がします……。

代表名義

秋元惟史(あきもとただふみ)

作家名義

民富田智明(たみふだともあき)

「民が富める田んぼを作るためには知恵に明るくなければならない」という考えから採用。

生誕

昭和61年1月13日

肩書

映像紙芝居作家、塗絵作家、学習教材作家

加盟団体

世界鬼学会一般会員

活動拠点

埼玉県狭山市

学歴

平成4年3月、私立川越幼稚園卒園。
平成10年3月、狭山市立柏原小学校卒業。
平成13年3月、私立埼玉平成中学校卒業。
平成16年3月、私立埼玉平成高等学校中高一貫類型卒業。
平成17年4月、東京工芸大学芸術学部映像学科入学。
映画理論と脚本制作を学ぶ。
平成21年3月、東京工芸大学芸術学部映像学科卒業。
平成22年4月、明治学院大学心理学部心理学科入学。
挫折状態から確固たる自信を確立する方法を模索。
平成27年3月、明治学院大学心理学部心理学科卒業。

免許資格

二級知的財産管理技能士(管理業務)
東京商工会議所認定ビジネス法務エキスパート
映像音響処理技術者認定資格
中型自動車(8t限定MT)第一種運転免許(AT限定解除)
普通自動車第二種運転免許(AT限定)
普通二輪車運転免許(ペーパーライダー)
乙種四類危険物取扱者免状
乙種火薬類取扱保安責任者免状
ネットショップ実務士補認定資格
個人情報保護士認定資格

趣味特技

【特技】
映像紙芝居制作、塗絵制作、学習教材制作

【趣味】
歴史探訪(神社仏閣城址)、景勝地散策、外国語学習(中国語、タイ語、アラビア語に入門)

興味分野

映画(アクション及びホラー中心)
漫画(劇画、少女漫画)
宗教学(神道、仏教、修験道、陰陽道、道教、キリスト教、イスラム教、新宗教、オカルティズム、スピリチュアリズム)
民俗学(民話、農村山村の生活風土、山岳信仰、異界、幽霊、妖怪、呪術)
心理学(思春期以降の青少年の発達、挫折からの立ち直り、自信の獲得、ひきこもり、ニート、いじめ、異常犯罪、夢分析、萌えの効果)
日本史(平安時代から江戸時代までの武士勢力の興亡が好き)
世界史(エジプト、中国、タイ)
日本国憲法、知的財産権法(著作権法、商標法)
その他、哲学(老荘思想)、考古学、文化人類学、古生物学、地学など

創作傾向

基本的に活劇至上主義なので、銃撃戦や格闘戦、砲撃戦があるような、痛快な勧善懲悪を好む。
いじめられっ子だったので、「強い力をかざして弱い立場の者を追いこんで傷つけるような奴は許せない」というのが根源的な心情。

気質

人見知りで引っ込み思案の内向型。
馴染めば社交的だが、馴染むまでには年単位の時間がかかる。
黙って考え事をしていることが多く、哲学的なことで悩み出すと泥沼にはまりやすい。
自分の価値観や人生観を常に問い続けていて、世間的な「当たり前」に迎合できずに、何かと疑問を抱きやすい。
不器用で、空気を読んでお世辞を言ったりできないので、取り繕って要領よく渡り合うのが苦手……。

同人結社創作信仰鬼姫狂総本部の活動を、文化史に残る一大事業に育てたい。
「鬼神童女遊侠伝」シリーズを、目先の流行を追った一過性の消費物としてではなく、長く愛されうる文化財に育てたい。
叶おうが叶うまいが、夢は大きくないと、道半ばで消え去りますからね。
夢のない人生はつまらんです。
好きな名言 「覚えておいてほしい。すべては、たった一匹のネズミから始まったということを」ウォルト・ディズニー

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作品歴

映像作品

平成17年「撲殺」
平成18年「激突者」
平成18年「発砲」
平成18年「動くダルメシアン」
平成18年「ガン・オブ・ザ・リビングデッド」
平成18年「バトル・オブ・アパートメント」
平成26年「鬼神童女遊侠伝/うどん屋にたかる大狐」
平成27年「青少年のための歴史文化教養講座 鬼神童女遊侠伝番外編 お凜様の青空問答塾」シリーズ開始
平成28年「鬼神童女遊侠伝/生娘を狩る大狸」

脚本作品

平成17年「激闘番外地」
平成18年「実録死亡遊戯」
平成19年 「赤いホンダと緑のカワサキ」
平成19年「沈黙の大学」
平成19年「童話・鬼っ子凜ちゃんの冒険 序章編」
平成19年「虚録・特攻戦士神風/オタクたちの挽歌」
平成19年「鬼神童女」
平成20年 「鬼神童女/白刃の姫君」(原本なし)
平成20年「鬼神童女/流血無法地帯」(原本なし)
平成20年「鬼神童女無宿」
平成22年「鬼神童女遊侠伝/鼬ヶ原の対決」
平成23年「荒野の女狩人/対決人喰大蛇」
平成23年「怪談鬼女峠」
平成24年「ジャンゴ/荒野の一匹狼」
平成24年 「メカドッグVSマシンウルフ」
平成25年「秩父巡礼道中怪談記」
(西武鉄道主催「ちちぶ映画祭」正式落選作品)

音楽作品

平成25年「鬼神童女遊侠伝」主題歌(作詞・作曲)
平成27年「鬼神童女遊侠伝挿入曲 癒しの笛」(作曲)
平成27年「鬼神童女遊侠伝挿入曲 弔いの笛」(作曲)
平成27年「鬼神童女遊侠伝挿入曲 情愛」(作曲)

その他作品

平成25年「鬼神童女遊侠伝 映画ポスター風塗り絵」シリーズ開始
平成28年「鬼神童女遊侠伝 学習教材」シリーズ開始

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人生経歴

民富田智明の現在までの足跡を記述しています。
自意識過剰と思う人もいそうですが、読みたくない人は読まなければいいだけです。

人間は、結局のところ主観的な感覚世界を生きており、似たような境遇を味わっている相手に共感し親近感を覚えやすいという傾向がありますので、各段階での経験と葛藤を書きました。
世の中に創作活動している人のウェブサイトはたくさんありますが、自己紹介に力を入れていることはあまりありません。
相手の人となりが伝わらないと、何を想って活動しているのかわからず、興味を持てなくて一度見たらそれっきりで忘れ去るということは多いです。
面識のない相手に覚えてもらうには、詳細な自己開示は重要と考えています。

また、生涯発達心理学の観点から、ライフストーリーの記述は自我の確立や人生の意味付けにおける重要性が論じられています。


【幼少時代】

昭和61年1月13日生まれ。
生まれた瞬間に肺に水が溜まっていて呼吸困難になり、そのまま保育器送りになる。
名前もつく前に向こうに逝くおそれがあったらしいが、無事にこっちに残る。
このことを幼少時に母親から何度も聞いていたため、現在の死生観に大きな影響を与えている。

ハリソン・フォード主演の映画「インディ・ジョーンズ」シリーズを見てヒーローに憧れを抱き、アクション映画に夢中になる。
昔話が好きで、テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」に夢中になる。

お絵描きが大好きで、塗り絵やお絵描き帳があればそれでよかった。

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【小学時代】

母親にレンタルビデオ屋へ連れて行ってもらい、アクション映画の洗礼を受け始める。
図書室にあった歴史漫画を繰り返し読み、歴史に興味を持つ。
初めて読んだのは「武蔵坊弁慶」。
そのため、今でも源平合戦が好きで、「弁慶の立往生」は創作に強い影響を与えている。

この頃は漫画家になるのが夢で、他愛もない「スーパーマリオ」の漫画や「インディ・ジョーンズ」の漫画を描いていた。
好きな科目は、もちろん歴史と図工。
クラブ活動は、4年生と5年生のときに科学クラブ、6年生の時に漫画クラブだった。
ただ、漫画クラブの友達が、小学生とは思えない異常な画力の持ち主で、目に見えた「才能の差」を突き付けられて、悩むようになる。
塾の友達の影響で、教科書の端っこにパラパラマンガも量産していた。
男のくせに「セーラームーン」や「セイントテール」などの少女漫画に興味を持つが、男兄弟なのでそういうのは恥と考え、突っぱねて見ることもなく悶々とする。
子供心に、少女漫画の女の子をかわいいと思っていた。
男なのに少女漫画に興味を持つ自分はおかしいのではないかと悩み始める。

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【中学時代】

親の意向で、いつの間にか新設の私立中学に通うようになる。
運動が大嫌いなのに、一番練習日が多くて厳しい軟式テニス部に入ってしまう。
クラスでオタクな友達ができて、自分も影響を受けてオタクの世界に片足を突っ込む。
ライトノベルの「魔術士オーフェン」に熱中し、ラノベもどきの駄文を書いたりする。
種村有菜さんの「イ・オ・ン」を恥ずかしがりながら表紙買いして、ひっそりと少女漫画を読むようになる。
少女漫画風のかわいい女の子を描く練習をし始める。

部活と教室で仲のいい友達は多かったが、楽しいばかりではなかった……。

中2と中3の二年間、太っているというだけでいじめの標的にされ、「ブタ」だ「トド」だ言われ、殴られ蹴られ、ガムをつけられ、唾を吐かれ、トイレで水攻めされ、地獄の苦しみを味わう。
先生は見て見ぬふり友達はいざという時に助けてくれず、喧嘩が弱いから、立ち向かおうと思っても、いつも顔面一発で泣かされる……。
毎日どこかでうずくまって泣く日々で、生徒指導部長だった部活の顧問に助けを求めたら、次の日から余計いじめがひどくなり、しかも、何故か女子から「あいつチクった、だせえ」とか言われて冷たい視線を受ける。
今思えば、急に上履きが消えたり、教科書が消えたり、筆記用具が捨てられていたり、誰の仕業か不明な怪現象が多かった。
男がやる真似じゃないし、多分、女子にも陰では嫌われていたのだろう。

オーストラリアでの修学旅行では、ファームステイをしていたときに、深夜に部屋に天敵が侵入してきて襲撃を受け、殴られてまともに眠れなかった。
相部屋の友人は、誰も助けちゃくれなかった。
また、よりによって、自分の天敵と帰りの飛行機の座席が隣同士だったもんだから、オーストラリア帰りの空でも殴られていた。
助けを求めてわざとらしく叫んだりしたが、もちろん、先生も同級生も乗務員も他の乗客も、誰も助けてくれなかった。
地獄のフライトだった。

あんなゴミみたいな奴(名前は伏せとく)のせいで散々なことばかりで、さすがに憎悪が溜まって「殺害計画」を本気で立てようとしたが、害虫駆除のために自分が犯罪者になるのも嫌なので、良心を捨てずになんとか我慢して学校に行き続けた。

あの頃の心の奥底を掘り下げると、一歩間違えれば、自分の身を守るために殺人を犯していた可能性は否定できない。

自分にとって、あの時のいじめはそれだけの悪夢だった。

このいじめ地獄以降、自分以外の誰かを簡単に信用できなくなった。

この経験によるトラウマは、今でも他人への過剰な警戒心として引きずり続けている。

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【高校時代】

中高一貫校なので、そのまま進学。
天敵は外に出て行ったので、地獄のいじめから解放され、平和がやってくる。
けれども、唐突に教科書なんかが消える怪現象には困らされており、女子の嫌がらせを受けていたのかもしれない。
北村龍平監督の映画「VERSUS」と塚本晋也監督の「鉄男」を見て衝撃を受け、映画監督に憧れ、自主制作映画というものに興味を持つ。

ビデオカメラを持っている友達に誘われ、文化祭の有志で映画作りに挑戦するが、カメラを持っている言い出しっぺはいつの間にかいなくなるし、右も左もわからないしで、グダグダして頓挫。

漫画も描き続けていたが、画力を意識しすぎて挫折することが多く、小学時代ほど自由に描けなくなっていた。

この頃、明確にクリエイティブな仕事をしたいと思っていた。

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【第一次浪人時代】

壊滅的に英語と古文が苦手だったので、日本大学芸術学部映画学科が第一志望だったが落とされ、浪人する。
池袋の代ゼミに通う。
勉強よりも、サンシャイン通りの中古ビデオ屋で80円のワゴンセールを漁るのが楽しくて、ヘンテコなB級映画をたくさん掘り出す。
本屋で少女漫画を堂々と買えるようになる。

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【映像学科時代】

結局英語がダメで、日芸は落ち、センター試験利用で得意科目2科目採点という仕組みだった東京工芸大学芸術学部映像学科に進む。

映像学科に入れば、みんな娯楽映画を作りたがっていると思って、アクション大好きな仲間との出会いを期待していた。
しかし、周囲は芸術志向のよくわからない作品ばかりで、娯楽志向の人は皆無に等しく、話の合う仲間がいなくてあっという間に孤立する。
普通に生きていたら、ハリウッド映画などが映画の面白さだと思うはずなんだけど……。

映画を作りたい気持ちはあってもそれを実現する環境がないことで、映画学校の想像と現実の落差に苦しみ、ひどく思い悩んだ末に引きこもりがちになる。

大学の人間はあてにできないので、高校時代の友達に頼んで課題をやるが、スケジュール管理が大変すぎて、どうしてもグダグダになってしまう。
「その日はバイトだから」
この一言だけで、身動きが取れなくなるのが自主制作だった。
たとえ親友であっても思い通りに動いてくれないという事実を突き付けられ、習作映画の企画はことごとく頓挫する。

それでも、何らかの映像作品を生み出したいという想いは変わらず、自分の力だけでもある程度実現可能な手段として、試行錯誤の末に映像紙芝居という発想に行きつく。

そこで、当時運営していた趣味のお絵描きサイト兼中古ビデオレビューサイト「悪鬼電影有限公司」(閉鎖)のイメージキャラクター「鬼っ子凜ちゃん」を主人公に据えた空想時代劇を大成させることを人生の目標と決め、「埼玉県に日本一のご当地キャラクターを生み出してやる」という野心を抱き、構想を練り始める。

だが、まともに脚本を書く訓練をしていたわけでもなかったため、自分で話を書けるようになるべく、映像表現研究室に所属して脚本を専攻する。
そして、数本の課題を書き上げた後、3年次最終課題として「鬼神童女」を書き、それをさらに再解釈した卒業制作「鬼神童女無宿」を完成させる。

こうして、映像学科卒業までに5作の「鬼神童女」シリーズを残し(うち2作は課題として手書き原稿の提出を求められたため、原本なし)、世界観が定まり始め、「武州鬼姫信仰」という架空の民俗信仰が確立していく。

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【第二次浪人時代】

何もかもが上手くいかない大学生活だったので自信が持てず、就職活動の前に悩み込んでしまい、途中で逃げ出してしまう。
勝ち組とされるレールから脱落したことで、世間への負い目から精神的などん底の期間を過ごす。

かつて、一人暮らしを始めたばかりの頃に悪徳業者の押し売りの被害に遭いかけたトラウマで、見ず知らずの大人や会社に対する不信感があり、ブラック企業を警戒して、就職に対する恐怖感があった。

インターネットには、ストレスによる精神疾患や過労死、自殺など、社会のネガティブな情報ばかり目立っていた。

大人の一方的な都合のために若者が人生を犠牲にしなければならないということに納得がいかなかった。
人生は大人に消費されるためにあるのかと、葛藤の毎日だった。

民俗学に興味を持ったことから、映像学科卒業間際に真剣にその道を目指そうと大学再受験を考えるが、父親の猛反対にあい「そんなオタク臭いもの」と頭ごなしに否定され、その代わりに「臨床心理士を目指さないか」と意向を示された。

精神的に不安定だった時期というのもあり、しばらく就職から離れて人生を見つめ直したいと思っていたので、「臨床心理士を目指す」という名目で再受験の道に進む。

現実逃避と言われればそれまでだが、とにかくがむしゃらに受験勉強していた。

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【心理学科時代】

自分の意思とは反していた進路だが、新たな身の置き所としてまぐれで明治学院大学心理学部心理学科に進む。

劣等生の自分には分不相応な歴史ある大学だったが、心理学が難しすぎて気力が保てず、あっという間に落ちこぼれる。

宗教などの思想的な方面が好きなので、人の心なんて統計で数値を出してわかるものかと思い、「何か違う感」しかなかった。

第一、自分のことだけで精一杯すぎて、障害児などの精神的な問題のことなど考えている余裕はなかった。
確固たる自信を持って堂々と生きていけるようになることだけが自分の関心事だった。
とても、自分には臨床心理士など向いていないと感じた。

新卒で就職していった昔の仲間とは、気まずくなって距離を取ってしまい、次第に疎遠になっていった。
中学で出会った10年来の親友だったが、社会的立場が変わってしまうと、やっぱりやり辛さの方が大きくなってしまった。
社会人と出戻り学生では、人生に差が開きすぎていた。

授業は全然興味が持てないしつまらなかったが、所属した人形劇サークルの活動に励み、二年間執行役員として書記を務める。
自分のことで精一杯だったので、サークルでは裏方に徹して、事務手続きや舞台設営の力仕事に精を出す。
女子9割の一見華やかな環境だったが、実際潜り込んでみると女性社会特有の息苦しい部分もあり、結構居心地の悪い状況もあって過酷だった。
生まれて初めて一人の女性に恋をして、勇気を出して告白したが玉砕し、驚天動地の衝撃により思い出したくないくらいの無茶苦茶な暴走をして醜態をさらしてしまった。
「女は魔物」とは、よく言ったものだ。

そして、平成23年3月11日、あの東日本大震災で福島原発が吹っ飛び、大人の作った色々な「暗黙の了解事項」が信用ならないものだと思い始める。
人生観を問い直され、「何が正しいのかわからないし、いつ何が起きるかわからないのなら、既成概念に追従して敷かれたレールの上で盲目的に生きるのは割に合わない」と考えるようになる。

そこで、自分の生きる意味として空想時代劇「鬼神童女遊侠伝」シリーズを大成させることを目指し、個人事業として「同人結社創作信仰鬼姫狂総本部」を正式に立ち上げる。
超絶な人見知りで引っ込み思案で対人恐怖気味の社会不適合な、ぼっちのコミュ障学生だったが、「自分の道は自分で切り開きたい」という強い想いが生じ、自分の両手で制御しきれる小さな会社を設立することを目指して、SOHO形態で地道に修練し始める。

しかし、いかんせん、右も左もわからない。
必要と思ったことは全部独学で調べて体得するしかない。

とんとん拍子でうまくいくわけがなく、一本で食べていけるような状況には未だ至らず。

そのため、親から何としてでも就職するようにと急かされ、最低限の生活の糧を得るための仕事を求めて、就職活動をすることに決める。

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【現在】

縁あって、とある地元企業に就職し、会社員生活を始める。
働きながらも、本来の自分の人生の目標である空想時代劇「鬼神童女遊侠伝」シリーズの大成のために、焦らずに一歩ずつ前に進み続けている。

自分には、これしかないから。

自分の行く先に成功があるのか、幸福があるのか、自分でもわからない。
正解の選択肢など、この世に生きる誰にもわからない。
それを知るのは、この世を創造した天上の神のみである。

孤独な挑戦はまだまだ続く。

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