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「特攻戦士神風」などの主題歌の作詞を始めました
どうも、同人結社鬼姫狂 代表の秋元惟史(作家名義・民富田智明)です。
なんか、ものすごく久しぶりにブログを書きます。
現在、漫画版「鬼神童女遊侠伝/猪男の大城砦」の色塗り作業をコツコツ進めています。
たぶん、漫画版の完成までに半年くらいかかると思います。
さて、「猪男」の色塗り作業中に、学生時代に書いた「鬼神童女遊侠伝」シリーズ以外の脚本を再解釈して商品化できないかと考え始めまして、「鬼神童女遊侠伝外伝」として無理矢理に武州鬼姫信仰と結び付けて、鬼姫狂団として主力作品にしていこうと決めました。
で、それらの学生時代の脚本のうち、特にお気に入りで、学生時代の友人にも好評だった「特攻戦士神風」と「メカドッグVSマシンウルフ」について、娯楽作品によるメディアミックスにとって最も重要な電子媒体、紙媒体、玩具、文化活動で新規に商標出願をし、とりあえず原作を一本完成させて発表することにしました。
とはいえ、「猪男」の色塗りが最優先なので、まだまだ大それたことはできません。
そこで、まず「特攻戦士神風」や「メカドッグVSマシンウルフ」などの主題歌の歌詞を自作してしまおうと思い、「特攻戦士神風」の歌詞を試作しました。
15年物の熟成世界なので、いざ書き始めるとサクサク進み、一晩で王道七五調の歌を3番まで書き上げてしまいました。
自分は巷で流行るようなやたらとアップテンポで文字数の多い歌があまり好きではなく、昭和歌謡のような古き良き七五調作詞の歌が好きです。
「鬼神童女遊侠伝」の主題歌も王道七五調なのですが、「特攻戦士神風」の主題歌もやっぱり王道七五調なのです。
「七五調なんてダサ~い、小学校の音楽の教科書みた~い」とか言うような層もいるとは思いますが、音楽の教科書に載るということは、音楽理論の基本に忠実かつ王道で正統派ということです。
母親が一応音大のピアノ科出身で教員免許も持ってた人なので(職業音楽家じゃないし、先生として教壇に立ったことはないし、更新してないから免許も失効ではあるが)、「今時流行ってる歌は音楽的にはめちゃくちゃで、五線譜すら読めない人が作曲家を名乗ってたりしている。教科書に載るような七五調の歌を軽視する人は、一流とは言えない。本当にいい歌は基本に忠実」と言っています。
で、アニメなどの主題歌について談義していたことがあるのですが、「主題歌は主題歌というくらいだから、その作品の世界観がその歌を聴いただけでパッと理解できるように作られていないといけない。歌を聴いてなんの作品の歌だかわからないような歌詞は、主題歌ではない」という考えで一致していました。
なんか、こう、主題歌とされているはずなのに、内容と全くかみ合っていない、単なるタイアップソングとか多いじゃないですか。
単体の歌として聴けばそういう歌なんだなとなるのが、なまじ主題歌とされているのに、内容とかみ合っていないので、先入観なく歌だけ聴いても主題歌と気づかない例が多いのです。
「鉄腕アトム」の主題歌「鉄腕アトムの歌」
「月光仮面」の主題歌「月光仮面の歌」
作品の題名と歌の題名がほぼ一致していて、歌詞にも作品の重要な言葉がちりばめられている、そういうのが、いい主題歌なのだと思います。
なので、自分は愚直に王道七五調作詞の主題歌らしい主題歌を作るのに意義を見出しています。
で、「特攻戦士神風」の主題歌の試作第1案をここに公開します。
完成音源は販売対象ですが、歌詞そのものは無料公開します。
歌詞を無料公開しますが、著作権は留保していますので、無断使用は厳禁です。
鬼神童女遊侠伝外伝
特攻戦士神風の歌 作詞・民富田智明
一
朝日が照らす 武蔵野に
独り道行く 快男児
平和神示を 果たすため
白刃(しらは)を振るって 大暴れ
あれは漢(おとこ)だ 英雄だ
特攻戦士 神風だ
二
夕陽が照らす 関東に
独り道行く 快男児
女子供を 守るため
黒衣をまとって 大暴れ
あれは漢だ 豪傑だ
特攻戦士 神風だ
三
月夜が照らす 日本(ひのもと)に
独り道行く 快男児
巨悪組織を 倒すため
拳銃(はじき)を握って 大暴れ
あれは漢だ 武士(もののふ)だ
特攻戦士 神風だ
Copyright©2022 民富田智明/同人結社鬼姫狂 All Rights Reserved.
試作第1案ですが、これ以上ないってくらい、「特攻戦士神風」の歌になっていると思います。
ここはぜひとも、小林旭、鶴田浩二あたりの雰囲気で歌詞を読んでいただくと、出来上がった歌の感じがわかると思います。
人形劇団時代、女子9割というのもありますが、周りはみんな今時のアニソンばっかで、「プリキュア」「おジャ魔女」「セーラームーン」は知ってても小林旭とか鶴田浩二が通じなかったんですよね……。
東映? 何それみたいな感じで。
「プリキュア」「おジャ魔女」「セーラームーン」、どれも東映アニメですが……。
自分は根っからの東映信者ですね。
侍、任侠、変身、二次元美少女……。
どれも東映から吸収したものばかり。
いつか東映と手を組めるようになるのが鬼姫狂団の真面目な夢だったりします。
全然お金ないけど、東映の株主になりたいっす。
鬼姫山回峰行 第14回 武甲山
どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行として、埼玉県秩父市と横瀬町をまたぐ武甲山(標高1304m)を踏破してきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。
今回登った武甲山は、秩父の象徴として古くから信仰の対象とされてきた山であり、町の中心地に鎮座する秩父神社の神体山とされています。
武甲山の名前の由来は、日本武尊(ヤマトタケル)が自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に収めたという伝説が元禄時代に広まったことにあるようです。
また、秩父嶽とも、妙見山とも呼ばれるようです。
武甲山は、秩父の象徴とされるように、秩父を取り囲む山々の中でも、ひときわ目立ちます。
しかしながら、明治以降にセメントの原料となる石灰岩の採掘が行われるようになり、豊富な石灰岩と引き換えに、著しく山体が崩壊し、痛々しいまでに斜面がえぐり取られた異様な景観になってしまいました。
武甲山の山頂には武甲山御嶽神社が鎮座していますが、元々の山頂部はセメントの採掘で削り取られてしまったので、移転されたもののようです。(山頂部が削られたので、標高も低くなったそう)
セメント産業は、武甲山から授かった多大な恩恵であるのは事実ですが、本来神聖な山である武甲山が日に日に破壊されていくというのは、色々と複雑な心境にならざるを得ませんね。
武甲山は、セメント採掘場である前に、古来より神様が住む山です。
そのため、削られていく秩父の象徴を想い、特別に真剣な気持ちで登りました。
武甲山の遠景。
雄大だが、山体崩壊が著しい。
これでも秩父神社の神体山です。
我々も武甲山のセメントの恩恵に与っているので、セメント採掘をやめろなどとはなかなか言えません。
とはいえ、貴重な植物群や、巨岩群、縄文時代から近代に至る歴史遺跡も消滅してしまったとのこと。
午前8時すぎ、武甲山登山口駐車場に到着。
すでに車が沢山いて、なんとか1台分の余裕はあり、自分の車だけは駐車できました。
駐車場は大きなハチが飛んでいて、車外に出て準備をするのが怖かったです。
駐車場の入口には、ここが神社の表参道であることを示す鳥居があります。
日陰で暗いのですが、鳥居の前にはお狗様が4体立っています。
秩父は山狗信仰が伝わるところです。
武甲山も山狗信仰の神社なのです。
案内板によると、山頂までは片道2時間10分程度とのこと。
脇にあったポストに登山届を記入して投函し、準備体操して出発しました。
しばらくは傾斜のない道を進みます。
沢沿いにある廃屋のような建物を過ぎるところから、傾斜がきつくなってきます。
かっこいい滝。
まだまだ歩きには余裕があります。
沢沿いを延々と進みます。
日曜なので、登山者は多かったです。
道標が逆光で読めない。
他の山との分かれ道を過ぎると、本格的に石だらけのゴツゴツ道が始まります。
延々と進みます。
冒険心をくすぐる橋がありました。
すき間だらけなので、足元に注意しないと踏み外します。
延々と進むと、不動滝というかっこいい滝がありました。
水を汲めるようになっていて、大量のペットボトルが置かれていました。
「山頂の公衆便所の水洗用に、無図の運搬にご協力ください」とのこと。
大は8L、小は6Lを目安に、と書いてありましたが、2Lボトル1本を運ぶだけでもかなり負荷がかかるので、1本しか持ちませんでした。
コップも置いてありましたが、あくまでも滝であって湧水ではないので、飲むことは避けました。
そもそも、コップ自体が放置されている感じで、衛生的な感じではないですし。
滝の脇にはお地蔵さま。
登山の無事を祈りました。
滝をしばらく進むと、武甲山御嶽神社参道とありました。
延々ときつい登りが続きます。
道の途中で、三十丁目のような到達度の目安石がいくつも立っています。
山頂部で六十丁目だったか……。
延々と進みます。
延々と進みます。
謎の祠。
延々と進みます。
延々と進みます。
この辺、かなりきつめです。
これを過ぎて、ちょうど真ん中あたりとのこと。
広い平坦なところに出ました。
休憩のための丸太の腰掛がいくつかあります。
あと60分。
まだまだ先が長い。
ここで、大きめの休憩をとりました。
車を置いてある登山口は標高515m地点とのこと。
実質的な登る高さは、789mでした。
以前登った関八州見晴台の標高がその辺でした。
標高789mでも十分きついです。
延々と進みます。
延々と進みます。
延々と進みます。
体力的にかなり余裕がなくなってきており、小休止の頻度が増えてきました。
なんでこんなきついことやってるんだろうと、雑念が生じてきます。
延々と進みます。
なんとなく、先が開けてきた気がしました。
明らかに、先が開けてきました。
きつい坂を抜けて、広いところに出ました。
多くの登山者が休んでいました。
青空が広がっていました。
ついに、武甲山御嶽神社に到着です。
きつかった。
お狗様。
お狗様。
神社を参拝した後、奥に続く山頂を目指しました。
鐘楼がありました。
かつては、もっと大規模に修行場が栄えていたようで、お寺もあったようです。
この鐘楼は、その名残でしょうか。
山頂まであと少し。
ついに、山頂です。
フェンスの向こうはセメント採掘場で、断崖絶壁になっています。
山頂からの秩父市街地の眺望。
標高1304mとなると、さすがに高度感がすごいですね。
かろうじて、採掘場が見えました。
白いぼやけているところが採掘場です。
由緒書き。
神社の社務所裏に、公衆便所の水洗用のマンホールがありました。
ここに、滝で汲んできた水を注入します。
自分の山岳修行の経験が、「便所の水洗」という、世のため人のために役立った瞬間です。
空になった2Lボトルに加えて、もう1本の2Lボトルもリュックに突っ込んで、先程の滝に戻すことにしました。
これが、滝からこの身で運んできた聖なる水です。
神社の参拝を終えて、20分ほど休憩をとり、下山を始めました。
下りは圧倒的に負荷が少ないですが、足を滑らせたり、つまずいたりして転倒する危険があります。
慎重に進んでいきました。
案の定、何度かズルっといって焦りましたし、滝にボトルを戻してから50mくらい下りていったところで、転びました。
石がゴツゴツしていない土の道でしたし、おしりから転んで安全に受け身を取ったので、大したことはありませんでした。
しかし、暑いからとグローブをはずしていたのがあだとなり、受け身を取った際に右の手のひらを少し切ってしまいました。
しかも、あろうことか、ちょっとしたケガのための絆創膏を家に忘れてきてしまいました。
さらに、消毒液もありませんでした。
なんたる失態。
大したケガでもありませんが、止血のために、首に巻いていた汗拭きタオルを手のひらに巻いて固く握り、しばらく進みました。
100mくらい進んだところに、安全に手を洗えそうな沢があったので、応急的に土で汚れた手を洗いました。
もちろん、水道水ではなく沢水なので、水そのものに危険な細菌がいる可能性もあります。
とはいえ、傷口が土で汚れている状態よりはましなので、きれいに洗い落としました。
止血のためにタオルを握りしめたまま、延々と進みました。
だんだん血が止まってきて、タオルを握らなくても平気になってきて、疲れ果てて駐車場に戻りました。
絆創膏がなくても問題なく車のハンドルが握れる状況だったので、秩父市内に絆創膏を買いに行くこともなく、そのまま帰路につきました。
帰り道、武甲山のすぐ近くにある秩父観音霊場札所8番に立ち寄って、仏様に登山の無事を報告し、
お寺の駐車場にあった公衆便所で入念に傷口を洗ってから、国道299をぶっ飛ばして帰りました。
ちょうどお昼頃だったので、芦ヶ久保の道の駅に立ち寄って何か食べてこうと思いましたが、ありえないほどの満車だったので諦めて、そのまま直帰しました。
これで、武甲山の踏破は完了です。
今回の教訓としては、たとえ夏で暑くてもけが防止のためにグローブをはずしてはならないということと、絆創膏と消毒液の常備を怠らないということですね。
次の鬼姫山回峰行をどこにするかは未定ですが、お寺と城跡の両方を楽しめる小鹿野町の札所31番観音山に行ってみようかと思っています。
もしくは、奥多摩か、神奈川県の丹沢山系あたりに進出するのもいいかもしれません。
神奈川は、大学生時代に厚木で2年(映像学科)、戸塚で2年(心理学科)住んでいるので、箱根、小田原、大山、鎌倉あたりは遊びに行っていて、結構身近に感じています。(地理的にも、横浜と川崎は武蔵国の一部ですし)
神奈川の山ガイドも本屋で買ってこないとですね。
鬼姫山回峰行 第13回 武蔵御嶽
どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行として、東京都青梅市にある武蔵御嶽神社(標高929m)を踏破してきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。
武蔵御嶽神社は、秩父神社、三峰神社、宝登山神社と並んで山狗信仰が伝わる修験道の霊場で、なんと紀元前91年の創建ともいわれる古社です。
736年に行基が蔵王権現を勧請し、神仏習合の流れの中で修験道が盛んになっていったようです。
御嶽というのは修験道の中心地である奈良県吉野の金峯山のことを指すそうで、修験道のしゅの字もない紀元前には、名前すらなく、単に山の神が住まわれるところ、くらいの感覚だったと思います。
武蔵御嶽神社は、JR青梅線御嶽山駅から車で5分ほど登ったところにある御嶽山ケーブルカーが登山の起点となります。
ケーブルカーに乗れば6分で山頂近くまでいけますが、今回は運動目的なので、麓から表参道を歩いて行きました。
ネットの下調べで片道90分とあったので、覚悟して入山です。
午後から雷雨の予想だったので、空の状況を見て、青空が広がっているのを確認して行きました。
ケーブルカー駅駐車場。
ここまでかなりの急坂を登ってくるので、実は標高929mのうち400mくらいは稼いでいる模様。
御嶽山3.4㎞とあります。
ここが表参道入口です。
ここですでに急勾配です。
人工っぽい滝行場があります。
使われているかはわかりません。
参道を登り始めます。
山の上の神社や、御嶽講を先導する御師が経営する宿坊に物資を運ぶために、全面舗装されています。
かなり急勾配な上に、切り返しの必要なつづら折れもあり、ガードレールのない離合困難な狭路が続くので、関係者以外通行禁止となっています。
風景的には変化のないきつい登りが延々と続きます。
写真だと大したことないように見えますが、実際に歩くと、あっという間に息が上がって汗が吹き出します。
疲れ果てながら、なぜ自分はこんなきついことやっているんだろうと、雑念が出てきます。
延々と歩きます。
延々と歩きます。
延々と歩きます。
延々と歩きます。
延々と登り続けると、ケーブルカーと交差します。
ちなみに、ここでクロネコヤマトとすれ違いました。
ケーブルカーをくぐった先に、お地蔵さま。
きつい登りは過ぎましたが、まだまだ道は続きます。
舗装されていて歩くためには広いので、壁側を歩けば滑落する心配はありません。
しかし、崖側はかなりの傾斜で高さもあるので、落ちればまず助からないでしょう。
車だとかなり緊張を強いられそうな道ですね。
だんだん先が開けてきて、
山上集落に着きました。
御嶽講の先達である御師が代々経営する宿坊が密集しています。
高野山町のように町ひとつ山の上にあればいいですが、宿坊群だけが山の上にあるというのは、生活のためにはかなり不便がありそうです。
宿坊群は麓にあったほうが参拝拠点としては良かったのではないかと思ったりしました。
集落のほとんどは宿坊です。
宿坊群を抜けると、信じられない急勾配の坂があるので、そこを進みます。
凍結したら、車で登るのはまず無理でしょう。
急坂を登って土産物屋を過ぎると、神社の入口が見えました。
ここで、雷がゴロゴロ鳴り出したので、急ぎました。
疱瘡神の祠。
立派な山門。
60分ほどの登りで疲れ果てていますが、ここからさらに石段が続きます。
二の鳥居をくぐって、
拝殿が見えました。
威風堂々の拝殿。
武蔵御嶽神社には山狗信仰が伝わるので、拝殿の前にはお狗様が立っています。
お狗様、下から。
お狗様、下から。
お狗様、上から。
お狗様、上から。
神社は山頂部にありますが、境内からだと、そこまで眺望は開けていません。
ここで、雷がかなり近づいてきたのか、ゴロゴロが激しくなってきたので、記念にお守りを買って下り始めました。
なぜか騎馬武者像があり、畠山重忠公とのこと。
登りは歩いて行きましたが、雷雨に降られる心配があったので、下りはケーブルカーを使うことにしました。
発車時刻は13時15分、20分ほど待ち時間があったので、近くのベンチでお昼のおにぎりを食べました。
で、こんな山の上にも東京オリンピックマスコットであるミライトワ、ソメイティのオブジェが置いてあって(高尾山にもあった)、オリンピックの強行開催のごり押しぶりを堪能しました。
ちなみに、地元の霞が関カントリーはゴルフの会場になっているので、駅前も長らくミライトワ、ソメイティの垂れ幕だらけになっています。
個人的には、オリンピックを強行せずに延期でもいいんじゃないのと思っていましたが、気が付けばオリンピックの直前ですね。
オリンピックそのものには疑問も多いですが、なにげに、マスコットのソメイティがかわいくて好きです。
ソメイティの由来が桜のソメイヨシノとso mighty(非常に力強い)からきているそうで、超人的パワーを持っているとのこと。(オリンピック公式サイトより)
桜をイメージしたスーパーヒロインという意味で、お凜様とかなり属性が近いですね。
ソメイティは東京オリンピック専用キャラとのことで、オリンピックが終わったら儚く忘れられていくのかもしれませんが……。
イベント一回ぽっきりのキャラよりも、1000年、2000年残る余地のある新しい神仏を提唱した方が、日本文化の発展には有意義であると思っています。
キャラクタービジネスではなく、偶像崇拝に基づく民俗信仰と表現したいところです。
そうこうしているうちに雷雲が急接近してきたようで、ケーブルカーが13時8分に臨時発車することになりました。
下山すると、すぐに緊急停電となり、ケーブルカーは運休になりました。
トイレに行っているうちに雨が降ってきて、駐車場に向かうと完全に大雨になり、出発の準備をしている間にずぶ濡れになってしまいました。
山の上でゆっくりしすぎていたら、酷い目に遭うところでした。
登山を開始したときはあれだけ青空だったのに、山の天気は読めないですね。
雨でずぶ濡れにはなったけれども、晴れているうちに無事に下山はできているので、よしとします。
かなりの集中豪雨で帰り道の運転は緊張しましたが、事故もなく帰宅しました。
これで、武蔵御嶽神社の踏破は完了です。
そのうち、奥の院も挑戦したいですね。(もちろん、神社までの登山道は省略したいので、ケーブルカーの往復で)
鬼姫山回峰行 第12回 高尾山
どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行として、東京都八王子市の高尾山(標高599m)を踏破してきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。
高尾山は、東京都屈指の観光名所として名高い秩父山地の東縁に位置する山で、古くから神仏習合の修験場として栄えてきたところです。
現在でも、744年に創建された真言宗寺院の薬王院が鎮座しており、山全体が境内地となっています。
高尾山薬王院は、もともとは薬師如来が祀られたことから薬王院と名付けられたようですが、その後神仏習合の流れの中で修験道が隆盛となり、飯縄権現が守護神として祀られてそれが本尊となったようです。
高尾山では、飯縄権現の眷属としての天狗信仰が伝わっており、高尾山といえば天狗の山というくらいの印象が強くなっています。
さて、高尾山は、10年くらい前、私がまだ大学生だった頃に一度登っています。
しかし、その時は薬王院の参拝途中に大雨に降られて撤退したため、山頂に登っていませんでした。
そのため、今回は、薬王院の参拝というよりも、山頂への踏破を目的に行ってきました。
とりあえず、駐車場に車を置いて(1,500円! こんなに高かったっけ?)ケーブルカー駅前に出ました。
日曜だったので人が多かったです。
私は運動目的なのでケーブルカーは使わず、表参道から徒歩です。
トイレを済ませて準備体操をし、歩き始めます。
高尾山の表参道は、寺院や売店の関係者の車が走行できるように全面舗装路になっています。
そのため、まともに歩いていさえすれば急斜面から滑落するような心配はありません。
ただ、勾配は結構きついので、あっという間に疲れてきます。
道の脇には、このような小さな仏像が立っていたりします。
ただの自然散策路ではなく、あくまでも寺院表参道です。
結構坂がきつくなってきました。
山道慣れしていないと、大体この辺りから来たことを後悔し始めるでしょう。
高尾山というと、何年か前にミシュランだか何だかの5つ星ランキングに選定されたことで人気が急上昇して、観光客が倍増したことが知られています。
その急激な観光人気の裏で、厚底サンダルやハイヒールなどで登ろうとする無茶な人も増えたということで、転倒によるケガも増えたといわれています。
高尾山は、観光地である前に、歴史ある山岳信仰の霊場です。
本来は修行のための山なので、楽ちんなところではありません。
舗装されて安全ではありますが、肉体的なきつさはあります。
あと、ちゃんとした登山靴で行くことが推奨されます。
安い運動靴だと、靴底が薄すぎて石や砂利などの凹凸で足を痛めるおそれがあります。
あくまでも山なので、厚底サンダルやハイヒールは論外、としかいえないでしょう。
つづら折れを繰り返して高度を稼いでいきます。
高尾山山頂まで2.8㎞。
高尾山山頂まで2.6㎞。
まだ200mしか進んでいません。
山道の100mは長いです。
お地蔵さん。
道の脇にはものすごい年季の入った杉が立っていたりするのですが、切り株の中に、まるで翼竜のようなかっこいい切り株がありました。
偶然にしては芸術的すぎます。
どう見ても翼竜です。
何本か小さな仏像を過ぎて、
リフト乗り場に出ました。
このリフト、下りで乗ると高度を直に感じてとても怖いそうです。
高尾山頂まで2㎞。
ちょうど中間点ですね。
緩やかな道をまっすぐ進んで、
ケーブルカー駅を通りすぎて、
猿苑脇のお地蔵さんを過ぎて、
ついに山門に到着です。
日曜だからか、多すぎってくらいに人が多かったです。
観音堂?をお参りして、
分かれ道から急な石段のある男坂を進みます。
結構段数が多いですが、山形県の羽黒山2446段(日本1位)や香川県琴平山1368段(日本2位)を踏破した身としては、もうこのくらいは慣れっこです。
今回は山頂が目的なので、境内散策は流して突き進みます。
巨大な天狗面。
巨大な天狗面。
山頂まで20分。
お寺なのに鳥居。
これぞ神仏習合。
奥の院。
この裏から山頂までの登山道が続きます。
尾根筋をずっと歩いて行くと、
視界が開けてきます。
この先が高尾山の頂上です。
十三州大見晴台とあります。
標高599m。
奥多摩の山々が見渡せます。
山頂は人がごった返していたので、昼食として冷やしかけそば(700円)を食べて一休みした後、そそくさと下山を始めました。
下山は、表参道ではなく、6号路という沢沿いを下りる自然散策路に近い経路をとりました。
はじめは砂利道でしたが、
延々と続く木段となり、
いかにもな登山道に突入しました。
ここ数日雨がちだったので、滑らないように慎重に進みます。
ここから沢沿い、というより沢そのものに入ります。
増水していなくて安心です。
普通に水が流れているところを、石をまたいだりしながら進みます。
登山靴じゃないと無理ですね。
滑落注意の警告板。
実際に落ちてるんでしょうね。
こんな感じで、ゴッツゴツの道を進みます。
こんな倒木もあります。
沢沿いから高度を上げていき、
落ちたら軽くあの世に行けそうな道を進むと、
金網が張られた道になります。
水しぶきの音がすごいです。
落石注意の警告板。
金網の道を下りた先は、滝行場になっていました。
行場は封鎖されており、修行者以外は入れないようになっていました。
滝行場からしばらく進むと、岩窟があり、そこに石仏が祀られていました。
延々と進んでいくと、
謎の祠があり、
古めかしい病院の脇から舗装路に合流します。
この辺りから雨が降り出したので、薄いジャンパーを着こんで急ぎます。
大量のお地蔵さんがあり、そこからしばらく行くとケーブルカー駅の脇に出ました。
で、雨に濡れているのでそそくさと駐車場に戻りました。
これで、今回の高尾山踏破は終了です。
余談ですが、帰り道に温泉に寄るかもしれなかったので、タオルセットと着替えは積み込んでいました。
なんと、10年以上の間に駅直結の高尾山温泉というのができていたので、試しに入りに行きました。
1200円しましたが、日曜だからか混んでいてイモ洗い状態であり、コロナのエチケットもお構いなしに複数人で固まってワーワー大声でしゃべる人もいて(しかも「黙浴にご協力ください」という貼紙のすぐ横で)、なおかつお湯設定も37度、38度など異様にぬるかったので、あまり満足はできませんでした。
人が多いのは仕方ないにしても、お湯がぬるいのはちょっと。(公衆衛生法で、感染症を防止するために湯温が43度以上ないといけないと定められている。実際にレジオネラ菌感染で死亡事故も起きている)
近年、こういうぬるいお湯が人気らしいですが、そもそも体が温まらないですし、衛生的には最悪なので、温泉施設である以上は熱めのお湯を維持してほしいところですね。
那須や草津や別府や雲仙などの歴史のある温泉場では、本場の意地があるのか、公衆浴場ではやっぱり熱いですし。(個別の旅館の対応は知りませんが、本当に温泉好きな人は熱めが好きだと思います)
鬼姫山回峰行 第11回 仙元山
どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行として、埼玉県小川町の仙元山(299m)を踏破してきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。
仙元山は、道の駅小川町のちょうど真正面にある山で、中腹は見晴らしの丘公園として整備されています。
計画では、同じく小川町にある官ノ倉山と金勝山に行くつもりでしたが、道の駅すぐ真正面にある山の方が車を置きやすいという都合があり、その場のノリで変更しました。
官ノ倉山や金勝山とともに、位置的に小川町の中心部を囲うようにそびえる山なので、古来から神聖視されてきた山であると想像しています。
ちなみに、仙元山は、古くは浅間山と書き、富士山をご神体とする浅間神社があったことがその名の由来であるという説もあるようです。(山の上に神社はなかったですが)
道の駅に車を置いて、昼食として地場の小麦粉で作った手打ちうどんを食べてから、山行きを始めました。
道の駅のすぐ先が仙元山です。
写真だと小さい山に見えますが、肉眼だともっと大きく見えました。
川沿いに出て、見晴らしの丘公園に向けて歩きます。
橋を渡って、
突き当りにお寺がありました。
もしかすると、昔は山全体が境内だったのかも。
お寺をお参りして塀沿いに右に進むと、登山道が見えてきました。
舗装路はあっという間に終わり、木段になりました。
ここから本番です。
細い道をまっすぐ進んで、
小石でざらついた登り坂が始まりました。
ここから急登です。
結構勾配がきついです。
しかも土が滑りやすかったです。
転倒の心配はありますが、斜面はゆるく、道の脇は盛り上がっているので、滑落の危険はありません。
これでもかと木段が続きます。
滑りやすい土の道を登って、
また延々と木段を登ります。
木段の先に開けた感じがあります。
見晴らしの丘公園に着きました。
なにげに、この木段がきつかったです。
巨大ローラー滑り台が売りとのこと。
仙元山山頂、青山城(割谷城)跡という道標があるので、それに従って歩きます。
砂利道を進み、
案内はないけど、上に行く登山道のようなところがあるので、そこに入ります。
東屋がありました。
圧倒的、山の景観。
東屋から道が続いているので進んでいくと、山頂と書かれた案内があるので、ひたすら進みます。
左側は斜面ですが、道はしっかりしているので、ちゃんと歩いていれば滑落の心配はありません。
ただ、土が滑りやすく、転倒の心配はありました。
あと、蜘蛛の巣が顔に何度もかかって、それがちょっと不快でした。
延々と同じような道が続きます。
山頂への分かれ道があるので、山頂方面に進みます。
なにげに、ここは急勾配です。
急勾配を抜けると、道標があるので、山頂方面に行きます。
延々と進みます。
急に、一部だけ木がまったく生えていない丸裸の斜面がありました。
事故防止のためかロープで通せんぼしていましたが、なんのためでしょうかね。
眺望は最高ですが、ダムの洪水吐のように結構きつい斜面なので近づくと怖そうです。
また延々と進みます。
急登が始まりました。
急勾配を登り切って、
山頂を示す道標があり、突き進みます。
仙元山山頂に着きました。
眺望はあまり良くありません。
こんな感じです。
一休みした後、青山(割谷)城跡に向かいました。
しばらく、延々と同じような道が続きます。
分かれ道に、「町指定史跡 青山(割谷)城跡」とあるので、そちらに進みます。
ここから城の領域です。
入口は信じられない急坂です。
敷石の残骸らしい痕跡がありました。
両脇は急斜面で、突き落とされたら死にます。
上から弓矢などで狙われたら逃げようがないです。
急坂を登り詰めると、その先は人工的に切り開いた崖である堀切になっていました。
切り開いた痕跡。
両側が急斜面で怖いので、堀切の全体像は撮れませんでした。
堀切の上は曲輪になっていて、曲輪の先はさらに堀切がありました。
堀切の両脇は斜面に落ち込んでいるのですが、よく見ると、一段低いところに平たい地形がありまして、防御陣地のための足場が作られていたのだと考えられます。
堀切を登ると、広々とした本曲輪がありました。
説明書き。
土塁。
空堀。
土塁。
土塁。
土塁。
土塁。
土塁や空堀の痕跡がはっきりとわかります。
土塁の上に散らばった石。
敷石の痕跡だそう。
よく見えないけど竪堀。
よく見えないけど竪堀。
竪堀の先に、曲輪がありました。
堀切跡だそう……。
木が生え放題で、何が何だかわからんです。
二の郭から木段を下りて、
二の郭の下は空堀になっています。
二の郭の先は細い尾根筋になっていました。
両脇が急斜面なので、曲輪から狙われたら逃げ場がありません。
これぞ、山城。
この先どこに行くかわからないので引き返しました。
城跡を実地調査して楽しんだ後、一休みして、下山を始めました。
帰りは、見晴らしの丘公園(巻道)というのがあったので、そちらを行きました。
延々と進むと竹林になり、道が細くなりました。
急斜面上で結構怖さがありましたが、慎重に進んで突破しました。
延々と進んで、
見晴らしの丘公園に出ました。
ここまでくれば安心です。
公園に展望台があったので、下界を眺めました。
小川町の中心地があり、右奥が金勝山、金勝山の左手前にちょっと見えているのが、たぶん官ノ倉山です。
一番奥にあるのは、秩父の山です。
登山マニアの方々は、おそらく、日本アルプスにあるような、2000m、3000m級の山に行きたがるのかもしれません。
けれども、本来、町や村に近い身近な里山にこそ、私たちの暮らしを見守っている身近な神様が住んでいるんだと思います。
地図を見ても名前すらわからない山に、由来の分からない謎の小さな神社があったりします。
そういうところに興味を向けるのが、山のありかたを知る上で大事なのかもしれません。
守り神だけでなく、祟り神が祀られている可能性もありますが。
守り神、祟り神といえば、武州鬼姫信仰の世界観においては、災いをなす祟り神のことを神とは呼ばず、神になれない日陰の存在として「妖賊」と呼んで区別しやすくしています。
古神道的な感覚において、神と妖の区別は曖昧というか、性質的にはほとんど同じものといってもいいかもしれません。
なので、武州鬼姫信仰では、「神族」と「妖賊」で善悪・明暗・表裏を区別し、災いを及ぼす妖の側を「徒党を組んで悪事を働く者」という意味を強めるために、妖族ではなく「妖賊」としています。
鬼姫狂団が提唱する新しい鬼ごっこ「鬼姫合戦」では、鬼姫軍の側に「土地神」の枠があります。
武州鬼姫信仰は、基本的には古神道的な感覚の上で成り立っているので、たくさんの土地の神様が特別出演枠で登場することが前提にあります。(東映任侠映画「兄弟仁義」でいえば、鶴田浩二や村田英雄あたりの立ち位置。大体途中で殺される)
犬だったり、猫だったり、狐だったり、狸だったり、お凜様のような鬼神様だったり、色んな神様が出てくる可能性があります。
村ひとつ仕切る神様だったり、お凜様のように、国ひとつ仕切る神様だったり、色々と。
神道(かんながらのみち)というのを、義理と人情の股旅物の世界に結び付けて打ち出したのが「鬼神童女遊侠伝」の基本路線なのです。
まだ大風呂敷を広げるまでの段階には到達できていませんが。
ちなみに、古神道的な世界+任侠という発想では、2008年~2012年にジャンプで連載されてアニメ化もした「ぬらりひょんの孫」という漫画があるのですが、「鬼神童女遊侠伝」の前身となる映像学科時代の習作課題脚本「鬼神童女」シリーズの方が歴史的には古いです。
(「ぬら孫」の方が後から創作されて有名になり、先にアニメ化されて先に打ち切りされて、気がつけば終了してた。アニメ版を少し見たけど、任侠っぽさも民俗っぽさもないただのバトル学園漫画だったし、何故か主題歌が和風な雰囲気が微塵もない変なラップだった。「ぬら孫」アニメ化の際は、自分は再受験浪人中で、「やられた」と思ったけど、思ってた世界観とだいぶ違っていた。自分は、再受験浪人しながら、江戸時代のやくざ文化や民間信仰について専門書を読み込んでいた)
民俗学の世界というのは、基本的に文書化されていない口承や実地調査の分野なので、過去を掘り下げることについては限界が来ているともいわれています。
だからこそ、これからは過去ではなく、現代の民俗を生み出すべきなのかもしれません。
ありがちなジャンプ漫画をなぞった学園バトル漫画ではなく、正統派の民話の世界として。
この峠、谷、滝、沢には、なんとなく人知を超えた存在が住んでいるかもしれない。
そういう感覚を抱きながら鬼姫山回峰行をやると、山道を踏破するのが面白くなってくるはずです。
鬼姫山回峰行 第10回 丸山(埼玉県民の森)・日向山
どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行として、埼玉県横瀬町芦ヶ久保にある丸山(標高960m)と日向山(標高633m)を踏破してきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。
丸山と日向山は、国道299号の芦ヶ久保の道の駅の目の前にそびえる大きな山で、中腹あたりまでは果樹農園が広がっています。
丸山については、山頂が埼玉県民の森の敷地内にあるため、県民の森まで車で行って登る人も多いかと思います。
日向山は、県民の森に向かう途中の車道沿いに山頂があり、公園化されていて駐車場も整備されているので、やはり車で行くこともできます。
しかし、現在、県民の森に向かう林道が台風の影響で通行止めになっていたり、コロナ感染拡大予防のために県民の森の駐車場が封鎖されていたりなどするので、山の上まで車で行くのが難しい状況になっているようです。
そのため、今回は道の駅に車を置いて、麓から自分の足で踏破することにしました。
芦ヶ久保の道の駅。
今回登る山がドンとそびえています。
山道の入口に神社があったので、登山の無事を祈願しました。
山道を進みます。
かなり急勾配です。
県民の森の駐車場は閉鎖中です。
延々と車道を登ります。
分かれ道に突き当たりました。
県民の森ハイキングコースは右のようでした。
国道を挟んで向こう側に、二子山や武甲山が見えます。
まだ10分も歩いていない感じですが、ここでも結構な高度です。
丸山林道近道という看板があり、登山道が延びています。
しかし、不安になるような荒れ具合です。
ここは通りません。
道標や案内地図を見ながら、延々と進みます。
突き当りに登山道という表記があるので、右に進みます。
この鋭角に曲がった登り坂が進路です。
高度が上がってきました。
道標の通りに進みます。
突き当りに登山道の入口がありました。
靴紐のゆるみを確認して水分補給をした後、突入しました。
延々と登ります。
駅から2㎞来ました。
丸山・県民の森まで2.1㎞とあります。
ちょうど中間ですね。
延々と似たような風景の道を進んでいきます。
転落の危険はあまりないです。
登り詰めて尾根筋に出ました。
丸山まで1.5㎞。
広い尾根筋を歩き続けます。
勾配もなく、危険度も低く、回復ポイントのような感じです。
謎の石仏。
大日如来とあります。
写真だとわかりにくいですが、信じられないほどのきつい勾配の坂が始まりました。
転倒に気をつけながら進みます。
すさまじく折れた木。
急坂を上から見たら、帰りが心配になりました。
写真だとわかりにくいですが。
平坦な道がしばらく続き、
また急坂が続きます。
道標が読めません。
延々と急坂を登ります。
急坂を登り詰めて、林道に出ました。
こんなところまで西武鉄道が土地を持っているんですね。
丸山まで0.9㎞。
遊歩道風の木柵が見えました。
県民の森に突入です。
丸山山頂への登山道を進みます。
小さい頃、母親に連れられてよく行ったなあ。
どんな場所だったか、ほとんど覚えていないけど。
展望広場(丸山)に向かいます。
きつい木段が続きます。
延々ときつい登りが続いて、
遂に丸山山頂(標高960m)に到着です。
展望台に登って景色を眺めました。
武甲山がかすんで見えます。
横瀬、秩父の市街地。
秩父方面とは逆側。
鉄塔の立つ山が見えます。(何山だかはわかりません)
あんなところに鉄塔を立てるんですよね。
高圧送電線って、どうやってかけるんだろう。
丸山山頂のベンチは先客で占領されていたので、展望台の上のベンチでおにぎりを食べました。
すると、武甲山方面からゴロゴロと雷のような音が聞こえてきたので、長居しないほうがいいのではないかと考え、そそくさと下山を開始しました。
県民の森の舗装路を進み、
芝生で整備された斜面の広場に出ました。
小さい頃に母親に連れられてよく遊んだ広場です。
凄く懐かしい。
もう35歳になっちゃいましたよ。
登山道をひたすら下ります。
登りで苦しめられた急坂を慎重に下り続けます。
今にもズルっといきそうで緊張します。
急坂を下りた先に、日向山への分かれ道があります。
そこを進んでいきます。
延々と下ります。
謎の巨石があって、
巨石を下りたところに祠がありました。
古神道ですね。
その先に道標があるので、日向山に向かいます。
大昔の道標もあります。
重要な峠道だったのでしょうね。
林道に出ました。
現在地を確認し、左に進みます。
山上集落があり、
その脇から登山道が延びているので進みます。
整備された公園になっています。
公園とはいえ、急勾配。
公園から登山道に入ります。
またかよという、信じられない木段。
延々と登ります。
開けてきました。
日向山山頂(標高633m)に到着です。
展望台に立って景色を眺めました。
小休止後、下山を続けます。
延々と進んでいって、
芦ヶ久保駅方面に。
急な木段の下りが延々と続きます。
神社脇に出ました。
ここまでの無事を報告し、さらに下ります。
車道に出ました。
山上集落が美しい。
ここからまっすぐハイキングコースを下りていくと麓に出られるようです。
延々と進みます。
農村公園と芦ヶ久保駅の分かれ道があります。
駅前に出たいので、まっすぐ進みました。
この時、農村公園方面に向かっていれば……。(後述)
尾根筋を延々と進んで、
草ぼうぼうの道を進んで、
もはや獣道のような道を進みます。
草が生え放題のため、斜面との境がわかりません。
水の音が聞こえるので、どうも下は沢のようです。
しばらく行くと、道標があるので、従って左に進みます。
この先、写真を撮り忘れましたが、右側が断崖絶壁で、下に岩ゴツゴツの沢が流れる、狭路となっていました。
おまけに、整備が行き届いていないのか、足場が水平ではなく、谷側に傾いていたりしました。
落ち葉も積もり放題、崩れかけた石も散らばっていました。
つかまれるものもありません。
落ちたら即死級の高さでした。
図説するとこんな状況なのですが、おばさんが先行して歩いていたので、慎重に行けば通過できるはずだと信じ、進みました。
とはいえ、めちゃくちゃ怖いです。
あろうことか、途中で段差もあり、しかも傾いていて崩れかけているという酷さ。
足を滑らせれば即死です。
なぜ、おばさんは平然と通過できたのか。
細心の注意をもって段差を乗り越え、少しずつ前に進みました。
だんだん高度が下がってきて恐怖感も薄れ、無事に狭路を通過しました。
まあ、無事に通過したから、こうして暢気にブログ書けるんですけど。
こんな石橋を設置することができるなら、なぜもっと沢沿いの道を広く削らないのか。
今思えば、あんなに頑張らなくても、引き返して農村公園に出ておけばよかったです。(そちらにも罠があったかもしれんが)
通過した道を振り返りました。
写真だとわかりにくいですが、狭路でかつ傾いているのが見えると思います。
奥はもっと高度があり、崖が切り立っていました。
安全な道を登り、
仏像の裏に出ました。
芦ヶ久保の道の駅から見える、高台の仏像です。
仏像に生きて踏破できたことを報告し、感謝しました。
最後の最後に、あんな恐怖があるとは……。
なぜあれが、一丁前に観光客向けのハイキングコースに設定されているのだろうか。
せめて、転落防止柵はつけてほしかった。
フェンス沿いを歩いてきたわけだし。
集落の車道に出て、道の駅に向かいます。
無事に道の駅に到着しました。
くそ疲れていたので小休止し、帰宅しました。
今回で、遂に標高960mの山に登りました。
丸山までの道は、中腹までは車道だったので、そこまでは割りと安全でした。
登山道に入ってからも、そこまで危険度は高くなかったです。
とはいえ、下山中の沢沿いの狭路で危険を感じる場面はありましたので、「観光客向けのハイキングコースだから安全」というわけではないと再認識しました。
登山なんだから何が何でも登山道を使う、という変な先入観は捨てて、安全な車道が並行しているのならばそれを使うようにしていきます。
どれだけ体を鍛えても、急斜面から落ちたらどうにもなりません。
安全が一番大事です。
鬼姫山回峰行はまだまだ続きます。
鬼姫山回峰行 第9回 日和田山・物見山・北向地蔵縦走
どうも、同人結社鬼姫狂団 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行として、埼玉県日高市と飯能市をまたいで、日和田山・物見山・北向地蔵の縦走をしてきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。
ここ数日天気が崩れがちなので、雲行きが不安でしたが、なんとか決行はできました。
とはいえ、当初の山行きの計画とは大幅にずれています。
最初、西武線の東吾野駅に車を置いて吾野駅まで電車に乗り、そこから大高山と天覚山に登るつもりでした。
しかし、東吾野駅に行ったら駐車場がうまっており、吾野駅に行ってみたらどうも駐車場がなさそうでした。
それで、芦ヶ久保の道の駅まで移動し、日向山か丸山に登ろうと思ったら、正丸トンネルを越えたら集中豪雨に降られてしまいました。
芦ヶ久保から引き返して正丸トンネルを越えると、雨が降っていませんでした。
正丸峠を境に天気が違うようで、正丸駅に車を置いて伊豆ヶ岳に登ろうかとも思いましたが、登山中に雨に降られると怖いので、やめました。
芦ヶ久保までの往復で無駄にガソリンを食ったため、諦めて帰宅しようと思いもしましたが、飯能市街に向けて走っているとだんだん雲が晴れてきたので、そのまま日高市に向かって日和田山に登ることにしました。
日和田山は一度女坂で登っているので、今度は急峻な男坂に挑み、物見山、北向地蔵に縦走して、五常の滝に下りていく、という経路にしました。
山の縦走で、車を置いたところからはだいぶ離れてしまいますので、下山先の最寄の武蔵横手駅から高麗駅まで電車に乗り、日和田山に戻るつもりでした。
日和田山駐車場に着いたのは、12時過ぎ。
もともとは大高山天覚山に行くつもりだったので、国道299の吾野近辺のコンビニで昼食は購入済みです。
お昼を回っていたけど、どうせなら山頂で食べたいので、体操してからそのまま出発です。
日和田山は以前に踏破報告をしているので、男坂までは省略します。
男坂に挑みます。
急峻な岩場ですが、距離は250mとのこと。
雨上がりなので、足滑りだけは気をつけないといけません。
慎重に進みます。
祠にお参りして、岩場を進みます。
道というより、岩。
傾斜もきつく、木の根も張り出しています。
一歩でも踏み外せば大怪我。
先が見えてきました。
どこに足を置くかで難易度が全然違います。
もう少し。
二の鳥居が見えました。
登ってみるとあっという間ですが、間違えれば滑落なので、緊張感が半端ないです。
ここに元旦の夜明け前に登って、初日の出を見ようなんて地元民はいないと思います。
暗闇の中で雑踏がごった返したら、危険すぎます。
女子高生が山登りする漫画「ヤマノススメ」って、意外と結構嘘ついてるのでは?
インドアオタクがアウトドアに目覚めるきっかけになった作品としての功績は大きいですが、ゆるふわな割にガチ山が多くて、聖地巡礼がきつくて死にそうになった運動不足オタクが続出したとか……。
最初歩の天覧山だって、何度登っても疲れることは疲れますから。
作中では、初日の出に間に合わないからって、深夜に男坂を駆け登っていますが。
実感として、昼でも危険すぎて駆け登れないと思います。
神社にお参りして、
日和田山の山頂で一休み。
日和田山山頂から、物見山に向かいます。
斜面沿いの道を進みます。
一部、細くなっていたり、滑りやすい岩の段差があったりして緊張します。
広い尾根筋に出ました。
雨上がりで滑りやすい部分もありますが、道は広いので滑落の心配はありません。
物見山方面に進みます。
延々と進みます。
結構勾配があります。
岩を削った滑りやすい道になりました。
尾根筋から斜面沿いになりました。
車道に合流します。
車道をしばらく進みます。
すれ違い困難そう。
車ではあまり来たくないですね。
山上集落に出ました。
公衆便所があったので、用を足します。
車道から再び登山道に入ります。
きつめの勾配です。
しばらく進むと、祠がありました。
ここが物見山の山頂かと思い、登りました。
物見山の山頂でもなんでもなく、山中の祠でした。
お参りして進みます。
まだまだ延々と登ります。
分かれ道になっているので、物見山山頂方面に進みます。
物見山山頂に到着。
標高375m。
ここで、買っておいたおにぎりを食べて休憩しました。
森で下界がふさがれているので、眺望は良くないです。
北向地蔵へ進みます。
尾根筋を延々と進んでいきます。
切り通しの先に車道が見えました。
サイクリングしている人が走り去っていきました。
こんな山の中までよく自転車で来る気になりますね……。
車道に出たと思ったら、また荒っぽい道に進みます。
お地蔵さんを見に行くだけなのに、どこまで行くんだというくらい登ります。
道の先に、山頂のようなところがありました。
あそこにお地蔵さんがあるのかも。
フェイントかけられて、登り詰めたら何もなかったです。
ベンチすらないです。
下を見ると車道沿いにお堂がありました。
これが北向地蔵でした。
由緒書。
大昔、浅間山大噴火の影響で飢饉と疫病が流行し、その災いを防ぐために、村人たちが栃木県栃木市の岩船地蔵尊から分身を譲り受け、岩船不動尊と向かい合うように祀って守護神としたとのこと。
現在では、男女の逢瀬を取り持つ縁起地蔵として親しまれているそう。
私も、若くて可愛いお嫁さんと出会いたいので、真剣にお参りしました。
ここで、ぽつぽつと雨が降り出したので、下山に不安を覚えました。
多少の雨が降っても平気なように、とりあえず夏用の薄いジャンパーは持って来ていたので、着込みました。
折り畳み傘も持っていますが、山道で傘差しは難しいです。
ここから下山になります。
五常の滝、武蔵横手駅方面に進みます。
近道と近道じゃないので真逆の方向ですが、近道は封鎖されていました。(崩落してたり、急峻だったりするのかも)
割と細めの道が続きます。
急斜面ではないので、恐怖感はあまりありません。
ユガテという山上集落との分かれ道がありますが、五常の滝方面に進みます。
ユガテってどういう意味なのか分かりませんが、近いうちに踏破したいですね。
建物が見えました。
安心感がすごい。
建物は民家ではなく、作業用の物置みたいでした。
その物置のような建物の奥に、祠がありました。
お参りして進みます。
車道に出ました。
進路はどちらなのか。
謎の石仏。
ガードレールに、こんなちっちゃな案内がありました。
右は行き止まりとのことで。左に進みます。
ガードレールの切れ目にまたちっちゃな案内が。
不安を煽る入口です。
アロエのような草がぼうぼうに生えた細い道を進んでいきます。
この先で車道にぶつかりますが、下山のための道に何故か通せんぼが。
路面損壊のため車両の通行はご遠慮くださいとのこと。
歩行者は関係なさそう。
というより、車道はどちらの方面も登り道の様子なので、ここ通らなかったら下山できません。
たぶん大丈夫だと信じて、通せんぼを突破しました。
沢沿いの砂利道が続きます。
沢は倒木で荒れています。
道も結構荒れています。
というより、ここは車両の通行を考えた道なのでしょうか。
路面損壊どころじゃないくらい、ぼっこぼこに陥没しています。
状態の悪い砂利道を抜けると、本当の車道に出ました。
五常の滝方面に進みます。
舗装路ですが、すれ違いは困難そう。
延々と歩きます。
切り通しを抜けると、
下の方にいくつもの祠と朱色の橋が見えました。
これが五常の滝かもしれません。
ただの滝かと思っていましたが、修行場の趣が強いです。
由緒書。
古神道の色が強い宗教法人かと思ったら、一般財団法人とのこと。
入場門がふさがれていて、受付がありました。
有料で、滝を見るのに200円かかるそうです。
35歳ですが、今までこんなところに有料の観光滝があるなんて知らなかったです。
しかも、まだ14時30分くらいなのに、「本日の拝観は終了しました」とありました。
ここまで頑張って山道を踏破してきたのに、最後の見物がおあずけで終わりました。
滝を見れなかったので、後は帰るだけです。
まだまだ延々と道を進みます。
沢沿いに謎の祠。
麓の集落に出ました。
この解放感。
西武線の線路が見えました。
国道299に合流です。
武蔵横手駅前一等地。
ちょうど、特急がいました。
圧倒的、山の風景。
隣町に来ただけなのに、思い切り旅行気分です。
ええ、大阪城とか姫路城のような市街地型の観光地でもない限り、こんな山のあるところ田舎ばかり旅行してます。
関ヶ原は最高ですよ。
何もなくて。
さて、駅で時刻表を見ると、次の飯能方面の電車は15時19分、このとき15時くらいだったので、20分近く待つことになります。
車を置いてある日和田山の最寄は武蔵横手駅から一駅の高麗駅なので、待ち時間の間に国道299を歩いてどこまで行けるのかという興味がわいてきました。
そのため、電車には乗らず、歩いて行くことにしました。
国道299を一駅分も歩く奴なんて、少数派でしょう。
そう思ってたら、走って追い抜いていく人がいました。
いつも素通りするお寺。
武蔵野観音霊場札所だそう。
お参りしましたが、観光色は強くないところでした。
延々と歩きます。
飯能市街と日高市街?の分かれ道に差し掛かりました。
車だと、ここからあっという間なのですが、歩きだと、ここからまた長いこと長いこと。
汗だらだらなので、川で水行したい……。
謎のお地蔵さん。
さすがに歩くのがうんざりしてきました。
巾着田前の交差点に差し掛かりました。
左に行けば日和田山入口です。
あと少し。
無事、日和田山駐車場に到着しました。
くそ疲れた。
すぐに車を出し、帰路につきました。
帰り道、突然集中豪雨に遭い、強制洗車されて土ほこりが落ち、ピカピカになっていました。
集中豪雨が1時間でもずれていたら、ずぶ濡れになっていました。
山の中で集中豪雨に遭っていたら、ぞっとしますね。
今回は、計画変更で日和田山からの縦走をやりましたが、単一の山を登るのとは違う面白さがありました。
次は、予定していた大高山と天覚山の踏破か、ユガテ顔振峠の踏破をやろうと思っています。
山歩きを習慣化させてから、目に見えて体力が上がってきた実感があります。
お腹の脂肪を減らして全身の筋肉を増やして、体格を良くしたいですね。
鬼姫山回峰行だけじゃなく、漫画版「鬼神童女遊侠伝」の絵コンテ制作も進めないと……。
鬼姫山回峰行 第8回 妙法ヶ岳(途中撤退)
どうも、同人結社鬼姫狂 代表 秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
鬼姫山回峰行として、奥秩父にある三峰神社の奥宮・妙法ヶ岳(標高1329m)に行ってきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。
三峰神社は、秩父神社、宝登山神社と合わせて秩父三山と称される山狗信仰が有名な秩父地方の代表的な古社で、妙法ヶ岳、雲取山、白岩山の三つの山を崇めることから三峰神社と名付けられたそうです。
修験道が盛んだった江戸時代くらいまではお寺であり、もっと大規模に栄えていたとか。
さて、三峰神社といえば、埼玉県西部地区に育って車の運転ができる人ならば、運転免許取得後に真っ先に目的地とするドライブスポットなのではないでしょうか。
国道299で秩父に入り、市街地から国道140を甲府方面にまっすぐ進んで、二瀬ダムをまたいで山道を登り詰めれば、三峰神社駐車場に到着します。
特別に迷いやすい道順でもないため、運転経験を積むには最適なところでしょう。
実際、私も三峰神社が初めての日帰りロングドライブでした。
三峰神社は、学生時代に二度参拝に来ています。
そのため、今回は神社そのものの見学ではなく、神社から登山道を登り詰めた先にある奥宮への踏破が目的でした。
土曜日だからか参拝客も多く境内は混んでいたので、ささっと遠くから社殿を遥拝して、奥宮へ向かいました。
本当は人の入り込んでいない写真を撮りたいけど、観光地だし、混んでいたので、そのまま撮影。
観光写真に写り込んだ一般人について肖像権うんぬんで問題視されたこともありますが、「観光地では不特定多数の観光客がいて、それぞれが観光写真を撮影しているのが当然のものであって、個別に肖像権の許諾を得ることは難しい。そのため、意図的に特定人物を撮るものでない限り、偶然入り込んでしまった不特定の人物については背景の一部とみなされ、受忍すべきものであり、肖像権は及ばない」という判例があったはず。
お互いに、写真撮るのでどいてくださいなんて言えないですしね。
逆光ですが、まずは奥宮遥拝所から妙法ヶ岳を拝みます。
たぶん、山の真ん中あたりのちょこんと出っ張った部分が山頂です。
ここからでも、下を見るとめちゃくちゃ怖いです。
奥宮へ向かいます。
神社は人がたくさんいましたが、登山道はほとんど人が寄り付かない様子。
いるのは、見るからに登山マニア風の人々のみ。
つまり、奥宮は、大多数の人はそもそも行こうともしない場所のようです。
ここから、東京都最高峰である雲取山に縦走できるようです。
雲取山は日帰りできないので、もうちょっと経験が必要ですね。
妙法ヶ岳まで2.5㎞。
古民家。
古くから神社領に住んでいた人々のものだとか。
登山道が始まります。
まだまだ散歩道という雰囲気。
坂道になってきたけど、そこまできつくない。
鳥居がありました。
ここからが奥宮の参道です。
登山届のポストがあり、「この先は大変危険な登山道であり、登山装備が必要です。サンダル履きなど軽装での入山はお控え下さい」警察による注意書きが立ってます。
たぶん、実際に滑落事故が起きているんでしょうね。
登山届を出したところで、超高度急斜面から落ちたら、救助するまでもなく大抵死んでるでしょうけど。
入山届の記入台が置かれているレベルの山道は初めてなので、緊張しました。
舐めずにちゃんと登山届は投函し、本当に危険を感じたら引き返すつもりで挑戦です。
鳥居をくぐったら、急にこんなゴツゴツ道です。
木の根が張り出して、天然の罠になっています。
斜面は歩き回れるくらいにゆるいので、危険度は低いです。
尾根筋に出ました。
左側は即死級の急斜面ですが、右側は斜面だけど高くないので、右側に寄って歩きます。
道幅は広いので怖さはないです。
ゴツゴツの道。
木の根が張った尾根筋。
緊張はするけど、道は広いので平気。
ただし、左側に転んだら即死級です。
延々と木の根が張る道が続きます。
道が広いので、崖側を歩かなければ安全だけど、つまずいて転んだらひどい目に遭います。
道標があり、
道が二手に分かれています。
まっすぐ行くと雲取山縦走路です。
左に折れると鳥居があります。
妙法ヶ岳はここを進みます。
ここまでは楽勝。
妙法ヶ岳まで1.4㎞。
入口から約1㎞来ました。
登りがきつくなってきました。
積み石。
ここから先、木の根だらけの斜面を進みます。
道というよりも、斜面を勝手に登る感じです。
広々としているので、危険はないです。
急斜面沿いの道を進んで、
妙法ヶ岳まで1.2㎞。
鳥居からまだ200mしか進んでいません。
休憩所があったので、ちょっと休みました。
割となだらかな斜面を進みます。
どこでも勝手に歩けという感じです。
一度平坦なところに出て、
ここからつづら折れの急登です。
謎の巨石を発見。
道というより、木の根っこが天然の階段になっています。
ゴツゴツ岩を過ぎて、
平坦な場所に到達。
ここで一息入れます。
一休みした後、先に進もうとしました。
しかし、ここから先は、超高度急斜面に沿った、人一人通れるかどうかという心細い狭路でした。
「路肩注意」という張り紙がありますが、木の隙間から下界が丸見えです。
転落防止柵もなく、つかまるためのロープなどもありません。
一歩踏み間違えると、奈落の底に真っ逆さまです。
その先が、どこまで続くのかもわかりません。
途中で下山者とすれ違ったとしたら、どちらかが崖側に避けることになります。
しかし、登山中なのでお互いにリュックも背負っていますから、すれ違うには体格以上の幅が必要です。
もし、すれ違いに失敗して、リュックで体が押されてしまえば、ズルっと滑落する危険があります。
写真を撮れていないので、状況の図説です。
恐る恐る道を進みましたが、あまりに急斜面が丸見えで怖く、足がすくみそうで危険を感じたので、数メートル進んだ地点で引き返しました。
引き返すときの体感距離が長いこと長いこと。
狭路の先が見えていれば、「ここだけの辛抱」にも思えるのですが、曲がって先が隠れていてわからないのが怖いのです。
平地に戻ったときには、心臓バクバクでした。
他の道はないかと探しましたが、やはりあの一本道しかないようでした。
転落の恐怖に耐えて突き進むといえば勇者のように聞こえますが、それで本当に転落してしまえばただの愚者です。
身の丈に合わない危険度の高い山頂に固執するよりも、自分の足で行けるところまで行って、無事に家に帰ることの方が大事です。
そもそも、三峰神社の大多数の参拝者はここに来ません。
つまり、ここまで来たという時点で十分に挑戦者です。
この場で山の神様に「ここで降参します」と宣言し、下山しました。
片道で1㎞以上山行きをしているので、それでも十分に運動になっています。
山歩きは、大自然の中で行われる運動ですので、ガイドブックにも説明がないような想定外の状況もあり、行ってみないとわからないことは多いです。
なので、「ここまで来たのだから」と無理せず、危険だと判断したならば「引き返す判断」は大事だそうです。
ただ、赤矢印で示したように、もう少し登って尾根沿いを進んでいけば安全に踏破できるのではないかと思ってもいます。
実際、ここまで尾根沿いを進んだりもしてきたので、そちらに登るもんだと思っていました。
帰ってから調べたら、超高度急斜面の狭路は、この先200m続くそうです。
転落の危険が高い狭路なので、200mとはいえ、長いです。
その先は両側急斜面の即死級の尾根沿いを600m進み、崩壊しかけた即死級の木段と岩場を越えて、20mの鎖場をよじ登って奥宮に到着、だそうです。
奥宮も10人も入れないような狭いところで、やはり転落の危険がある即死級の断崖絶壁だそうです。
私の感覚からすれば、引き返した狭路ですら超怖かったわけですが、登山マニアの感覚では「初級者向けの普通の登山道」らしく、5段階評価でレベル1~2になっていました。
でも、ここに来る人はそもそも少ないので、こんな場所にあえて来たがる人の「普通」は、たぶん「普通」じゃないと思っています。
今後、奥宮に再挑戦するかどうかはわかりません。
その前に、麓から表参道で神社に登るのに挑戦しようかと思っています。
山頂に行かなくても、1000m級の神社に歩いて踏破できれば、それだけでも達成感は十分にありますし。
たぶん、今時、麓から歩いて三峰神社に参拝する人も少数派だと思いますけど。
山歩きは、別に命までかける必要もないですし、長距離の踏破であれば山頂まで行かなくても十分に体力はつくので、「鬼姫山回峰行」では山頂に立つことに固執しないようにします。
(日本では登山というと一直線に山頂を目指すことと同義ですが、諸外国ではそうでもなく、むしろ山の外周を景観を眺めながら歩くのが主流なんだとか)
無事に下山し、帰路につきました。
帰りに二瀬ダムに立ち寄り、しばし見学。
小さい頃に、母親に連れられて、ダム沿いのトンネルを抜けた先にある斜面につけられた階段のようなものを登り、先にはテニスコートしかなくてがっかりしたという記憶があります。
母親が何を目指していたのかはわかりませんが、思っていたのと違って何もなく、しょんぼりとベンチでお弁当を食べて下りていったことだけは覚えています。
そして、ダム沿いの急斜面につけられた階段なので、ものすごく怖くて壁に張り付きながら泣いて登ったことを覚えています。
その時、「二瀬ダム」と言っていた気がしていて、とにかくそのダムに吸い込まれそうな恐怖が記憶が鮮烈でした。
で、母親はまったく覚えていないため、この記憶がどのダムなのかわかりませんでした。
小さい頃によく秩父の方に連れていかれたし、小さいからまだ他県までは行っていません。
なので、秩父のダムなはずでした。
調べると、秩父にある浦山ダム、滝沢ダム、合角ダムは歴史が浅く、小さい頃に現存していたのは1961年完成の二瀬ダムだけです。
で、記憶のテニスコートを実地調査しました。
そしたら、やっぱりありました。
トンネルがあり、
階段ではないけど、スロープがあり、
ダム湖を下に見ながら登り、
荒れ放題の朽ちたテニスコートがありました。
たぶん、何もなくて母親としょんぼりお弁当を食べた場所です。
何をしに来たのかはわかりません。
母親は中学時代に軟式テニス部でしたし、小さい頃は家族で旅行したときにホテルでよくテニスをしていたので、もしかしたら単純に遊びでテニスをしに来たのかもしれません。
しかし、行ってみたら荒れ果てていたので、がっかりしながらお弁当だけ食べて帰ったのかも。
確かにダム沿いの高いところですが、記憶ほど怖い場所ではありません。
高所からダムの底が丸見えだった記憶があるのです。
ダム湖が干上がっていたのかも。
転落自殺や事故が多いことで有名な立ち入り禁止の吊り橋が見えました。
スロープの途中で、謎の動物の腕が落ちていました。
別の動物に食い散らされた痕跡でしょうけど、手首だけ残っていて、生々しいです。
なんの動物でしょうかね。
片腕だけ落ちていて驚きましたが、人間のじゃなくてよかったです。
野生動物ではなく、怪物に食われた痕跡かもしれないと想像すると、限りなくホラーになりますね。
こんな山奥、何が棲んでいるかわかりません。
もしかすると、残忍な妖賊の仕業かも……。
今回は、妙法ヶ岳の途中撤退という結果になりましたが、「鬼姫山回峰行」はまだまだ続きます。
鬼姫山回峰行 第7回 高山不動尊&関八州見晴台
どうも、同人結社鬼姫狂 代表の秋元惟史(活動名義・民富田智明)です。
本日、鬼姫山回峰行として、飯能市の西吾野付近にある古刹・高山不動尊とその奥の院がある関八州見晴台を踏破してきました。
鬼姫山回峰行とは、武州鬼姫信仰において神聖視される秩父鬼姫山の比定地である秩父山地と、各地方に点在する鬼姫山支山の比定地である山岳地を、仮に鬼姫山と見立てて自らの足で踏破することによって、鬼姫山へ想いをはせ、己と向き合い、鬼姫山三神と心を一体化させ、神秘の萌燃力を授かることを目指す山岳修行です。
鬼姫狂団では、この鬼姫山回峰行を、鬼姫狂徒が重要視すべき根本的な三大実践行としています。
さて、今日登った高山不動尊と関八州見晴台は、埼玉県西部出身で、車の運転ができて、ある程度神社仏閣に興味のある人であれば、一度は行ってみようと考える場所なのではないでしょうか。
私は、大学生の頃、20歳で運転免許を取って以来、ここに興味がありました。
しかし、高山不動尊までの道はすれ違い困難な細い林道であるため、車で行くには抵抗があって、ずっと後回しにしていました。
道路ガイドなどにも、「ガードレールのない狭路、離合困難なため通行は避けるべし」とありました。
母親がかつてドライブ中に奥武蔵グリーンラインから国道299号線に出ようとして、「高山不動尊 国道299号線近道」とあったので入り込んでしまい、引き返したくても引き返しようがなく、対向車が来ないことを祈りながら下りていって、泣きたくなったそうです。
母親のこの話を聞いていたため、今でも山間の林道のような狭い道は車で行くのを敬遠しています。
で、高山不動尊と関八州見晴台まで車で行くのを断念した場合、必然的に自分の足で歩いて行くという選択肢しかありません。
そのため、今回、鬼姫山回峰行として、麓から歩いて踏破することにしました。
高山不動尊は、真言宗のお寺で、ウィキペディアの記述を参考にすると「伝承によれば白雉5年(654年)藤原鎌足の子の長覚坊、三輪神社の別当宝勝坊、藤原氏の臣である岩田三兄弟が創建したという。その後716年、行基が五大明王像を造り、そのうちの1体が現存する軍荼利明王像であるという。以上の草創縁起は伝承の域を出ないものであり、正確な創建時期は明らかでない」とのこと。
お堂の前に立てられた由緒書には、祀られている軍荼利明王像は、飯能地区では最古の仏像とされているようです。
今回の山行きの起点は、国道299号沿いにある休暇村奥武蔵駐車場です。
登山道の最寄の西吾野駅には駐車場がないそうなので、登山ガイドには「ここに車を置いて、下山後に日帰り入浴してから帰るのがよい」とありました。
なので、素直にそれに従いました。
休暇村奥武蔵。
温泉ではないにしても、露天風呂はあるそう。
駐車場利用料として、下山後にお風呂に入るつもりでいたので、堂々と駐車しました。
登山靴に履き替えて、準備体操をして、施設には入らず国道299号に出ました。
国道を挟んで施設の真向かいに高山不動尊から続く道があり、ガイドでは西吾野駅から登山してその道から下山するコースが紹介されていました。
なので、そのつもりでした。
休暇村から国道299号を歩いて西吾野駅前へ。
歩くと結構遠い。
初めて西武線の山間部の駅前に来ました。
無人駅ではないようです。
公衆便所で用を足してから、登山道に向かいます。
西吾野の駅前一等地。
圧倒的、山の風景。
これで、交通の便が良くて生活必需品や嗜好品が手に入るお店が整っていれば、文句なしです。
自然の多いところに住みたいです。
駅前から坂を下りたところに道標があります。
高山不動尊まで約90分とのこと。
距離では書いてくれないようです。
川沿いの道を延々と歩きます。
謎の石仏。
高山不動まで3.5㎞。
西吾野駅前まで0.9㎞なので、駅からの計算で4.4㎞ですね。
休暇村からの道を合わせたら、余裕で片道5㎞以上ですね。
道標がありますが、2方向の両方に高山不動とあります。
たぶん同じところに出ると思うし、こちらの方が近道っぽいので、ここを進みます。
住宅の間なのに、凄まじい急坂。
まだ石段の方がまし。
急坂を登ると、道標があるので、高山不動の方に進みます。
民家の脇を通りますが、急斜面に無理矢理家を建てています。
山上集落恐るべし。
登山道に突入します。
結構細いです。
結構岩がゴツゴツしています。
おまけに勾配もきつめです。
しばらく延々とこんな感じの道が続きます。
この時点で息があがっています。
段差を踏み越えていく途中、トカゲのような生き物を踏みました。
たぶんトカゲです。
ヘビではなく、トカゲだと信じています。
ごつごつした岩の道は過ぎたようです。
延々ときつめの坂が続きます。
杉林のど真ん中なので、風景に変化もなく、疲労だけが貯まります。
延々と登り続けますが、倒木をくぐるアドベンチャー気分も味わえます。
延々と登りが続いた先に、道標が出てきました。
距離は書いていません。
東吾野(?)方面に向かう分かれ道に石仏。
延々と続く道。
急勾配の坂を上る途中に茶店跡があり、そこのベンチに座って休憩。
水分補給をして、コンビニで買ってきたブラックサンダー(チョコ)を食べて栄養補給。
くそ疲れていたので、うっかり休憩場所の茶店跡を撮影し忘れました。
同じような風景が続くので、今となっては、どの写真の後に休憩所があったのかすらわかりません。
尾根筋に出ました。
左側は視界が開けていて、ものすごい高度に来ていることがわかります。
道標がありました。
不動滝・白滝・大滝というのに興味がありましたが、かなり大回りになるみたいなので、高山不動方面に進みます。
里歩きならともかく、山歩きでの大回りは、致命的になる迷子要因です。
延々と進みます。
謎の祠が突然現れました。
石が祀られていて、油性ペンで「西山ノ神」と書かれていました。
古神道ですね。
こんな人里離れた山奥の道に突然お墓が現れました。
この山域の所有者のものなんでしょう。
「都城」とあるので、神道式ですね。
神道では本来葬儀をしないので、神道式のお墓は明治以降に仏教を倣って確立されたものだそう。
延々と進みます。
急に杉林の中に竹林が現れ、人の手が入っている雰囲気になりました。
人の声も聞こえてきました。
斜面の下に建物が見えました。
集落に出ました。
左の広場に入ると、堂々とした石段がありました。
高山不動尊に到着です。
大イチョウ。
なんか廃墟のようなものがあると思ったら、飯能市立高山小学校とのこと。
面積的に、教室が一つしかなさそうなので、分校でしょうね。
小休止した後、石段を登りました。
結構急な上に、足場の縦幅が狭いので、怖いです。
上からのぞくとこんな感じ。
普通に怖いです。
急な石段のすぐ前にお堂があるので、正面からだとお堂全体を撮ることができません。
石段の途中だと、ちょっと怖くてカメラを覗く余裕がなかったです。
本堂に上がってお参りしました。
ものすごい重厚な歴史を感じます。
これが重要文化財の軍荼利明王像です。
この圧倒的造形美。
こういうのを色々見てくると、そりゃ神社や寺を建てたくもなりますよ。
武州鬼姫信仰を、鬼姫山三神を、外部の一民間営利企業によって、ただの金儲け主義の娯楽のための一過性の消費物に扱われるのは嫌ですね。
たとえ有名な大手出版社などであったとしても、武州鬼姫信仰の発祥と創設にまったく関わっていない、他人の会社ですから。
鬼姫山三神は、子、孫、ひ孫以上の代まで伝承されるべき、もっと崇高な対象なのです。
日本史上、100年単位で絶えることなく残り続けているものは、皇室を除けば、神社仏閣しかありません。
だから、鬼姫狂団では、阿弥陀堂を併設した根本聖地鬼姫神社の建立が目標なのです。
お参りを終えて、トイレを済ませた後、奥の院のある関八州見晴台に向かいました。
お堂の脇から登山道が延びています。
この先で、いつの間にか人の家に入り込んでしまい、案内板もないので焦りました。
家の裏には登れそうな斜面があり、そっちかもしれないと思って進みました。
ただ、登山道というよりは、林業用の作業道という感じでした。
道幅は狭く、急斜面で、枝葉が大量に積もっていて、不安になりました。
不安な斜面を進むと、ガードレールの切れ目が見えました。
歩いているところはもはや道に見えません。
ただの斜面です。
林道に出ました。
かつて母親がうっかり入ってしまった離合困難な狭路です。
歩くと広く感じますが、車1台しか通れないでしょうね。
目の前が待避所になっています。
謎の祠。
林道を登ると、奥武蔵グリーンラインにぶつかります。
母親は、「国道に出られます」という表示を信じて、ここを下りてしまったわけですね。
「狭路のため離合困難」くらい書くべきと思いますが、たぶん、オート三輪が活躍していたような、昭和で時代が止まっている表示なんだと思います。
グリーンラインを左に進むと、関八州見晴台の登山道があります。
延々と登ります。
また車道にぶつかります。
車道に出て少し登ると、関八州見晴台入口とあります。
さらに登ります。
きつい坂を延々と登ると、人の声が聞こえました。
関八州見晴台に到着しました。
くそ疲れて限界です。
高山不動尊奥の院。
お参りした後、ぐるりと景色を一望し、昼食をとりました。
子ノ権現の時と違い、今回はしっかりコンビニで食料を調達していきました。
山の上で食べるおにぎりはうまい。
ただ、疲れ果てているので、がっつりお弁当を食べる気にはならなかったですね。
おにぎりがちょうどいいです。
標高771m。
子ノ権現が640mなので、それより高いですね。
筑波山が877mだから、本格的な登山の域に入りつつあります。
鬼姫山に想いをはせて、しばらく景色を眺めました。
山に登った以上は下りなければいけません。
20分ほど休憩した後、下山を始めました。
とりあえず、高山不動まで下りてから、林道をひたすら歩いていきました。
高山不動を少し下りると、神社があります。
神社をお参りして、ひたすら車道を歩き続けます。
こんな道、絶対走りたくないです。
歩いていると、業者風のバンとセダンが下りていきました。
登ってくる車はいなかったので、無事に麓まで走破したんだと思います。
こりゃ、母親も泣きそうになりますよ。
歩くにはいいけど、絶対に車で入りたくない……。
だいぶ下りてきました。
植生が変わったのがわかります。
こんな岩肌もあります。
こんな神秘的な景観なのに、道路が狭すぎて泣きたくなります。
ちなみに、ここまで下りてきて、待避所が一切なかったです。
集落に出ました。
渓流沿いで景色はいいですが、道路が狭すぎます。
国道299号とあります。
その下に、あじさい館車庫裏入るとあります。
あじさい館とは、休暇村奥武蔵の旧称です。
この狭い車道は、顔振峠の入口である吾野トンネル付近まで延々と続きます。
休暇村奥武蔵がゴールなので、脇道を行きます。
人の家の庭でしょ、これ。
竹林に突入します。
ここまで下りまくったのに、峠越えが始まります。
延々と急坂を登ると、切り通しがあります。
切り通しを越えて、下り続けます。
休暇村奥武蔵が下の方に見えました。
だが、まだまだ高度があります。
シカやイノシシを通せんぼする木戸がありました。
道標に従い、休暇村に向かいます。
今通った峠は至高山というらしいです。
あまり手入れされていない道で怖いです。
道は頼りないけど、景色はきれい。
細い道を下りていって、
まさか、これが進路かと焦りましたが、
背後にちゃんと道があって、
無事、休暇村奥武蔵に到着しました。
あの心細い車道から峠道に入り、この山(至高山というらしい)を越えて来たんですよね。
駐車場に車を置かせてもらっていますし、くそ疲れて汗だらだらだったので、お風呂に入ってから帰ろうと思っていました。
しかし、玄関に入ろうと思ったら貼り紙があって、「コロナウイルス感染予防のため、土日祝日の立ち寄り入浴は休止させていただいております」だということでした。
駐車場代としてお金を使おうと思ったのに、お風呂に入れないなら使いようがないので、そのまま帰りました。
今回の山行きは、おそらく往復で10㎞はあったと思います。
過去最大の山行きだったでしょう。
11時30分頃に歩き始めて、16時30分過ぎて17時近くに歩き終えたので、5時間くらいだと思います。
で、かなりの時間山道にいましたが、特にクマさんと出くわすこともなかったので、これくらいの山行きならば単独でもなんとかなりそうです。
ただ、今回の山行きで、案内板のない分かれ道をところどころ見かけたので、道迷いには気をつけないといけません。
山地図には読み慣れておかないと、命取りになりかねません。
登山計画書の作成と提出の意義は、こういうことなんでしょう。
次回の鬼姫山回峰行では、もう少し経路設計をしてから行くことにします。